ちんしょぼ

 ひとつ前の記事を書いたあと、自分の中では、妻が少し右を向けばどんなものを見ているのかすぐにバレてしまう状況でエロサイトを眺めることに、大義名分が得られた気持ちになり、そして眺めていたのだけど、ファルマンはまだその投稿された記事を読む前だったので、少し右を向いた瞬間に僕の頭越しにエロサイトが見えて、「なに見とんねん」という話になった。それで僕は、これこれこういうことなんだよ、とブログ記事を示して弁解したのだけど、「はあ?」と一蹴された。おかしいな。確固とした大義名分を手に入れた実感があったのだが、他者には通用しない手形だったのかもしれない。あるいは、経済社会においてなんでも買えるクレジットカードを持っていても、お金の概念さえない未開の地ではなんの価値もない、みたいな感じか。とにかく通用しなかった。びっくりした。しかも、「見るにしたって、そんな、あまりにも下品な、そんなのやめてよ」といわれたのだが、そのとき開いていたサイトは、僕が見ているエロサイトの中では、だいぶ穏当な部類のものだったので、なんかもう詰んだな、と思った。
 どうやら僕はもう、のびのびとエロサイトを眺めることは、できないらしい。そして前記事にも書いたが、こうしてエロサイトを眺めることができない日々が続くと、ちんこの筋力、それはただ単にセックス能力というわけではなく、ちんこ発想で世界を明るく照らす力とでもいうべきものだが、それはどんどん衰えていって、取り戻すこともかなわず、やがて完全に枯渇してしまうことだろうと思う。
 そのとき爆誕するのがなんなのか、分かりますか。
 ちんこがただの黒ずんだ排泄器官でしかなくなった、しょぼくれた、おじさんですよ。ちんしょぼおじさんですよ。エロサイトを排斥する倫理観は、この世にちんしょぼおじさんを生み出すんですよ。いいよいいよ、ちんしょぼおじさんで溢れ返ったユートピアがお好みならば、そうやってエロサイトを邪険にしておればいい。エロサイトを邪険にするあなたがたを見て、おじさんたちは優しく微笑む。そしてそのおじさんたちのちんこは一様にしょぼくれている。世界には頻繁に勃起するちんこと、しょぼくれているちんこしかない。その選択肢において、あなたたちは後者を求めたのだ。そのちんしょぼユートピアに、いったいどんな幸福があるだらう。