俺とツタンカーメン


 ポルガが相変わらずツタンカーメンに傾倒している。1年以上前から古代エジプト王朝への情熱はあって、それで去年あのTシャツを作ったわけだが、あれからますますその度合いは強まっているように思う。それにしてもあのTシャツは本当によく着た。同時に作ったピイガも同じくだが、たぶん365日でそれぞれ90日くらいはあのTシャツだったんじゃないかと思う。娘たちは、見たらいつもあのTシャツを着ていた。
 そんなポルガがつい先日、「ツタンカーメンのお墓から、パンツが150枚発見された」という情報を開陳してきたので、パ、パンツが150枚!? と衝撃を受けた。この衝撃は、大抵の人においては、そんなにたくさん!? というものだろうが、僕の場合は違う。おなじだ! である。パンツ150枚。最近はもうきちんとナンバリングしていないので、何枚になったのか不明瞭なのだけど、たぶんそのくらいではないかと思う。既製品を足したらもっと多くなるが、とりあえずハンドメイドショーツだけで考えれば、僕とツタンカーメンは同じくらいの数のパンツを所持していたということになる。
 なんだか一気に親近感が湧いた。
 ただしツタンカーメンが特別なインナー好きであったという証拠は残されていないようで、おそらく体の弱かった彼のために、清潔を保つ目的で数多く用意されたのだろう、という推測が立てられているらしい。本当だろうか。清潔を保つことだけが目的で、それほどの数になるだろうか。推測を立てた研究者は、まず間違いなくパンツを150枚持っていないだろう。それではパンツを150枚保持する人間の気持ちが分かるはずがない。僕は分かる。ツタンカーメンは、インナーに対して特別な偏愛があったのだ。分かる。分かるよ、トゥトアンクアメン(正確な表記)。インナーは愉しい。そしてインナーのなにが愉しいのかと言えば、インナーのすぐ下には性器があるという点だと思う(いまツタンカーメンが大きく頷いている姿が見えた)。つまりインナーっていうのは、性器のための演出道具なのですね。
 だから僕はさまざまな形、さまざまな素材、さまざまな柄でショーツを作る。それに包まれ、それからまろび出されるちんこを愉しむために。そして気付けば150枚になっていた。しかしツタンカーメンの時代には、残念ながらそういったバリエーションは望めなかったらしい。もちろん王族なので上等な生地であったそうだが、物自体は画一的であった。では、画一的ならば150枚あってもしょうがないのではないか、という気がしてくるが、ところがどっこい、ここからが約3300年の時を超え、150枚ショーツ同盟を組む同志である僕にしかできない推察である。静粛に。心して聞いてほしい。
 同じ生地、同じ形で作られた150枚のショーツ、作ったのはすべて違う女。
 どうだ。これだろ。間違いないだろ。そういうことだろ。そういうことなんだろ、トゥトアンクアメン(正確な表記)。謎は全て解けた。なぜツタンカーメンの墓には150枚ものパンツがあったか。人類最大の謎と一部で囁かれていたこのミステリは、ひとりのハンドメイドが趣味のブロガーによってこうして鮮やかに解明されたのだった。
 ついでにツタンカーメンのページをちらほらと眺めたら、ツタンカーメンは死後、冥界の神オシリスに似せようと細工をされた形跡があり、すぐに崩れてしまったので証拠は残っていないが、男性器は垂直におっ立てられていたという。オシリスは死と再生を象徴する神だというが、男性器を勃起させつつ、どうしたって日本人にとっては尻を連想せざるを得ないオシリス神の象徴などと言われても、なんかもう下ネタ過ぎるだろ、という気しか起こらない。もしかするとツタンカーメンは、僕の人生の目標である、なんかしらの性に関連する事柄の象徴となって奉られたい、という願いもまた、共有していたのかもしれない。
 そんなツタンカーメンとの縁を感じた出来事だった。ちなみにツタンカーメンの身長は167センチだったそうで、ここまで来るともうちょっと怖い。同志どころか、もしかすると僕はツタンカーメンの生まれ変わりなのだろうか。そう考えれば、実の娘が異様にツタンカーメンに耽溺するのも、なんかしらの第六感によるものかもしれないと思えてくる。