くなんかない


ァルマンがこの2ヶ月ほどどハマりしていたドラマ、「おっさんずラブ」が終わった。放送中はファルマンと話すすべての話題が「おっさんずラブ」に繋がり、実にウザったかったが、終わったら終わったで、ロスだの幻の8話だの、そういうことは言わないので、そういう意味では潔いと思う。
 さて「おっさんずラブ」である。タイトル通り、おっさんたちの恋愛模様を描いたドラマであり、観ていて普通におもしろく、そして時代の変遷を思った。話の中でも、男性同士が恋愛関係になることについて、周囲の人間はけっこう「あ、そうなんだ」くらいの感じで受け止めていて、その反応を観たこちら側も、それをそんなに非現実的だとは思わず、まあ現代ってそういう感じかもな、と捉えることができたので、かくして2018年にこのドラマは制作され、成功を収めたのだなと思った。
 そんなことを思うし、ゲイだのバイだのという性的嗜好の人に対して特に嫌悪感みたいなものは持っていないつもりだし、繰り返しになるがドラマそのものはおもしろかったのだが、でもやっぱり僕自身はこう思う。
 ちんこはまんことくっついてほしい。
 ゴールがそこじゃない恋愛および性愛というのが、どうしても理解できない。ラブストーリーは往々にして、男は男性側に、女は女性側に感情移入や自己投影をして、そしてセックスという成就を願うものだろう。違うのか。父さんの考え方は古いのか。
 ファルマンにこの点について訊ねたら、「若いときはそうだったかもしれないけど、もうこの年になると、自分がそんなにモテるはずがないってことは解ってしまっているから、そういうベタな恋愛ドラマのヒロインに感情移入なんかできなくて、だったらもういっそのこと女なんか抜きで男の人たちだけでそういうキャッキャしているのを眺めているほうが幸せなのだ」みたいな答えが返ってきて、なるほどなあと思った。
 翻って思い出されるのは、二次元ドリーム文庫や美少女文庫などの願望小説レーベルのことで、あれも最近やけにレズ物が増えてきていると感じていた。その原因も、ファルマンの唱えた理屈によるものなのではないだろうか。なにしろこれは前々から怪しいと思っていたのだが、『バイク乗りの平均年齢は10年前に較べて10歳上がった』というジョークと一緒で、あの願望小説レーベルもまた、僕みたいに、10年前から読んでいる人が10年後もやっぱり読んでいて、新たな若い読者なんてほとんど増えていない気がするのである。いまどきの若い子は、あんな小説をあんな形では読まないんじゃないかと思う。だから、ある日を境にやけにモテるようになる平凡な男子高校生に感情移入する行為に脱落した読者が、レズ物を求めるようになった。そういうことなのではないか。
 だとしたら哀しい話だと思う。僕はレズ物には本当に興味が湧かない。ペニスバンドとか使ってもぜんぜん意味がない。生身のちんこを、生身のまんこに入れて、抽送して、射精するからいいんじゃないか。あれは、手を変え品を変えしつつ、結局それだけを紡ぐ物語だろう。そしてある日を境に急にモテ始めて、1本しかない自分のちんこに対してまんこが多すぎて往生する主人公に、我々はなんの躊躇いもなく感情移入するべきなのだ。モテるはずがな、くなんかない。ひと晩に3回も4回も5回もなんてとても射精できな、くなんかない。現実の加齢による様々な面での減退なんか気にするな。目を瞑れ。なんの抵抗感もなく主人公に自己投影をし、なんの気兼ねもなくベッドヤクザになればいいのだ。ここはなんの憂いもない桃源郷なのだから。
 返す返すも、決して同性愛のことを不健全だと排斥する意図があるわけではない。