ホットパンツの精


村亜美が中学生の野球大会で始球式を行なった際、選手である中学生男子たちはグラウンド内でその様を眺める形になっていたようで(これがいけなかった)、はじめはマウンドを取り囲むようにして自制していたものが、じりじりと距離を詰め、最終的には何百人もの体育会系中学生男子がひとりの(当たり前なのだけど)稲村亜美に殺到し、もみくちゃになる、という出来事があった。映像を見たけれど、なかなかの恐怖映像で、いろいろと思うところがあった。
 世間は集団痴漢として憤っていて、それはまったくだと思う。集団心理の怖さ。稲村亜美を囲んで、稲村亜美の向こう側にライバルチームがいたので、そのライバルチームよりも稲村亜美の近くに行かなければならないと競うような気持ちも、もしかしたらあったのかもしれない。大勢でひとりの女性を襲う悪辣さ、ということが嘆かれるわけだけど、そもそもが未成年の少年たちとは言え、特定の犯人というものは取り沙汰されないわけで、だとしたらなんかもう、少年たちが本当に悪いのかどうなのか判らなくなってくる。中には既にしてひどい奴もいるんだろうが(チームのエースとかで)、おそらく大抵はウブな少年だったりするわけで、彼らは普段、女の子を襲ったりなんかはしないのだ。それが今回の状況では犯行集団の一員にならざるを得なかった。グラウンドに立っていた少年たちは不可避でそのレッテルを貼られてしまった。それは不幸なことだと思う。もちろん現場においてもいろんなスタンスの少年がいただろう。稲村亜美に飛びかかった少年、稲村亜美に飛びかかる少年を制止しようとした少年、その騒ぎにまったく参加しなかった少年。でも世間は3月10日の神宮球場のリトルシニア硬式野球大会の開幕式に出席していた少年を、一緒くたに責める。であれば逆説的にやっぱり個人個人は悪くないということになるし、少年たちの中でいちばん得をしたのは、いちばん最初に稲村亜美のもとに到着して、ホットパンツから伸びる太ももを触った少年だということになる。なんだ、だったらやっぱり触りに行くのが正解だったわけか。そういうことになってしまう。
 結局ふつうの話になってしまうが、いちばん悪いのは運営だ。中学生野球大会の始球式にホットパンツ姿の稲村亜美を召喚するという発想が最悪だ。神スイングと呼ばれる稲村亜美の野球のテクニックのすごさ、みたいなことは知らない。知らないし関係ない。問題は、ホットパンツ姿のグラビアアイドルを中学生野球大会の始球式に呼ぶことである。もうそんなのあれじゃん。大学の実行委員が自分の好きなタレントを学園祭に呼ぶのとまったく同じ発想じゃん。楽屋で特別に写真を撮ったりサインをもらったりするんじゃん。魂胆が見え見えじゃん。
 だから今回の出来事は、実際に稲村亜美をもみくちゃにした中学生男子たちよりも、稲村亜美をもみくちゃにさせた大人たちのほうがよっぽど悪い。むしろ稲村亜美をもみくちゃにしたのは、中学生男子たちではなく、その大人たちと言ってしまってもいいかもしれない。大人たちのゲスな魂胆が、怨念として神宮球場全体に広がり、それに酔わされた無垢な少年たち(若く青い性欲は罪ではない!)があのような行動に走ることになった、と考えるべきだ。運営の役員は検討が不十分だったとして詫びたと言うが、同時にチームを通じて少年たちに猛省を促したという。ほぼ間違いなく、「少年たちへの猛省」のほうが比重が大きいのだろうな、と思う。体育会系の、上の立場の不条理なまでの強権は、道理なんていともたやすく吹き飛ばすのである。
 中学生男子の肩を持ちすぎかもしれないが、インターネットの発達により、エロへの幻想を抱きにくくなり、悶々とした葛藤が薄れたと言われる現代において、目の前に降臨したホットパンツ姿の稲村亜美に、「触りたい」「揉みたい」という衝動が少年たちに湧き上がったことは、とても正しいことで、そこに健全性を感じる。もちろんわかってる。わかってるよ。集団痴漢。卑劣。いけません。稲村亜美の恐怖はいかほどだったか。十分わかっている。でも、ホットパンツ姿の稲村亜美だぜ? もちろんわかってる。わかった上で言っているのだ。たとえば電車で女子高生に痴漢した男が「痴漢されたくねえんならそんな短いスカート穿くんじゃねえ」と言ったとする。これはいけない。ぜんぜん理屈になっていない。その一方で、グラビアアイドルは男子が興奮してくれるから成立する商売だ。じゃあ始球式にホットパンツで現れた稲村亜美はどっちだ、という話なのだ。話がとてもデリケートで、今すぐにでも誰かから怒られそうで、ひやひやしながらこれを書いている。薄氷を踏むような気持ちだ。僕のこの気持ちを、張本勲が代弁して、「少年たちに「あっぱれ」ですよ」とか言って、吉原くらい盛大に炎上してくれないだろうか。
 あとこれは蛇足になるが、今回の出来事の性別が逆であったらどうだろうとも思った。ひとりの男性に殺到する何百人もの女子中学生。この場合、競争して獲得しようとするものが、稲村亜美の場合は太ももを撫ぜるとかだったが、男の場合はビーチフラッグのごとく分かりやすい。そして僕はそういう類の小説をいくらでも読んできたので、現実にそれが起ったとしてもそんなに驚かないのではないかと思う。