特筆すべき嬉しかった出来事

 にわかには信じがたい話だと思う。特に男性諸兄にとっては、妬み嫉みも発生し、余計に受け入れがたいだろうと察する。でも事実である。
 先日のことである。プールに来ていた。男子更衣室で、水着に着替えるために全裸になった瞬間だった。プール遊びを終え、今から帰るところらしい小学校高学年くらいの二人組が、すぐ横の通路を歩いていった。その少年たちが、僕の脇を通り過ぎたあと、少し興奮したような口調でこんなことを言ったのである。
「すげえでかかったな!」
「うん、でかかった!」
 本当なのだ。嘘じゃない。嘘じゃないし、勘違いでもない。誰か別の人のことについて言ったということもない。他に人はいなかった。でかかったものが何か、たしかに目的語はなかった。でもタイミング的に、シチュエーション的に、それ以外ない。その場にいたから分かる。本当だ。信じてほしい。忸怩たる思いはあるだろう。大抵のあなたがたはそんな思い出を持たない。でもこれが現実なのだ。受け入れてほしい。
 こういう感じでちんこの大きさを褒めそやされるのって、人生の中でこれほどの喜びは他に存在しない、とまでは言わないけれど、だいぶ上位の、そうそうないレベルの喜びだと思う。小学生男子というのがまたいい。屈託がなくて言葉が素直だし、なにより男という種族の後輩である。彼らにとって僕は、ちんこの大きい、憧れの存在となったに違いない。プロスポーツ選手って、こんな気持ちなのか。こんなに気分がいいのか。思わず追いかけて、ジュースくらい奢ってやりたくなった。それくらいの幸福感だった。
 ふたつ前の記事(「波のり」)で、空を飛ぶ鳥にペニスはない、ペニスは空を飛ばない、空に看過される度合のペニスの人間もいるが自分は残念ながらそうではない、だからあんなにも高所が恐怖で、飛行機が嫌いなのだと合点がいった、という話をした。今回、それが外部からの反応によって改めて証明された。プールの男子更衣室で、小学生男子から羨望の眼差しを向けられるようなちんこの人間は、空を飛べない。もとい物理的に空など飛ばなくても、生物として遥か高みに位置しているのだとも言える。
 ちなみに僕はそのあと予定通りプールで泳いだわけだけど、心なしか股間部の水の抵抗が激しいような気がして、泳ぎづらさを感じた。ペンギンは鳥類だが、空は飛ばず、しかし海の中を飛ぶかのように泳ぐ。じゃあペンギンは果たしてどうなんだろうと検索したら、ペンギンもやはりペニスは退化してなくなっているらしい。であれば、これまでプールにおいて、水泳のガチ勢に対して気圧されるところがあったが、なんのことはない、あいつらというのは、水から看過される度合いのものしか持っていないがゆえに、あんなにもスムーズに泳げるのだ、それに較べて僕はどうしてもその部分において重大なハンデを負っているため、ああは泳げないのだ、と喝破した。そして精神衛生がとてもよくなった。やっぱりあの小学生たちにはジュースを奢るべきだった。ちんこの大きさを口に出して称える存在は尊い。天使的でさえある。親御さんの教育がいいんだろうな。ただし彼らの親御さんのより、僕のほうが大きいんだろうな。そこはどうしたって申し訳ないと思う。ああ気分がいい。