凛と咲く花

 模様替えにまつわる話ばかりになるが、先日の模様替えの結果、これまで互いのパソコンの背面を突き合わせるようにして、向かい合っていた僕とファルマンの机は、やっぱり机って素直に壁に面したほうが部屋が広く使える、という何度目かわからない発見によって、北側の壁を向く僕の左後ろにファルマンの机、西側の壁を向くファルマンの右横に僕の机、みたいな配置になって(向きを東西南北で言い表すの、非常に田舎者っぽい)、そうなるとどういうことになるかというと、僕がエロサイトを漫然と眺める時間が、以前に較べて大幅に減った。コロナ禍の居酒屋の売上くらい、ガクンと減ったと思う。
 それで、こうしてブログを毎日ペースで書いたり、部屋の広くなったスペースで裁縫のことをしたり筋トレをしたりしているので、いいことづくめだ。いいことづくめである。いいことづくめなのだけど、心のどこかで常に、(エロサイトを漫然と眺めたい……)という思いがくすぶり続けている。エロサイトを漫然と眺めるのって、本当に生産性のない行為で、時間ばかりが空費されるのだけど、でもこうして禁断症状のようなものが出て、渇望感があるということは、精神的になんかしらの作用をもたらしていたのだと思う。そしてそれは、人には無駄な時間も必要なんだよ、などという、なにかいっているふうの、なにもいっていない理由なんかではなく、もっと実際的な、それこそ筋トレ的なものだったのではないだろうか。
 すなわち、ピアノだったりバレエだったりで、1日サボると取り戻すのに〇日かかる、みたいな、それくらい厳しくて高度なジャンルなんですよ、というアピールとしか思えないいい回しがあるけれど、エロというのもまた、これとまったく同じことがいえるのではないだろうか。ましてや僕は38歳である。若い頃ならば意識せずとも衰えることなどなかったが(そもそもサボろうにもサボれなかった)、ぼちぼち、うかうかしているとそっち方面が薄らいでいってもおかしくない年齢である。自然に任せて薄らぐのなら、薄らがせればいいではないかと思われるかもしれないが、やっぱりそんなわけにはいかない。性欲だと、まるでそれが清廉で正しいことかのようだが、体型で考えたらどうだろうか。代謝が落ちてきて、下腹が出たりする、中年からの体型の変化を、なすがままに任せて放るのが、潔くてかっこいいだろうか。そんなことないだろう。性欲だってそれと一緒だ。だから僕は意識を高く持って、現状の性欲を保とうと努めなければいけないのだ。エロサイトを漫然と眺めることは、つまり僕にとって筋トレみたいなものだったのだ。筋トレならぬ、いわゆるひとつの、チンのほうですけどね(哄笑)。
 であるからして、この配置になり、自由にエロサイトを眺められないことは、大いに問題がある。この問題を打開するにはどうしたらいいか。答えはひとつだ。不意に画面を見られて、咎められても、くじけず、眺めたいときは眺めればいい。高い志を持っていれば、周囲の雑音なんか気にならない。この道をゆく。ゆけばわかる。歩いたあとに花が咲く。