陰嚢宝石

 鳥取旅行の帰りの車中でポルガの撒き散らすウイルスを浴びまくり、体調を崩したが、その気怠い日々の中で、宝石みたいに輝くひとつの発見を得た。
 それは、鼻炎薬を服むと陰嚢が寛ぐ、ということである。
 旅行が終わった途端に山陰に冬がやってきて、冬がやってきたということは、陰嚢は縮むのである。「当園のマスコットキャラ金玉くん夏と冬とでサイズ激変」という短歌があるが(藤原定家が詠んだのだったか僕が詠んだのだったか忘れた)、この中で示されるように、金玉及び陰嚢というのは、気温によって形態がまるで変わり、陰茎と同じく、それゆえに愛しさがひたすらに募るわけだが、とにかく寒いと陰嚢は縮む。
 精子は熱に弱く、そのために陰嚢は体の外に垂れ下がっているといわれるが、もともとのベースとしての女体においては、陰嚢は大陰唇にあたり、体の内側にあるものなので、高熱の脅威にさらされていない、冬のキュッとした陰嚢こそが、生命体としては自然な姿、望むべく姿なのであって、夏のダランとした陰嚢のほうが非常事態なわけである。とはいえエンターテインメント性の観点からすると、陰嚢はタプタプしていたほうが断然いい。そよぎ、揺れ、揉まれ、持ち上げられ、引っ張られ、そのように可動域があると、行為にもいろいろバリエーションが生まれ、情趣が増す。
 冬の陰嚢にはそれがない。風呂などで時間をかけてぬくもらせれば和らぐが、寒い空気の中に戻ればたちまち元に戻る。戻ってしまえばそれまでだ。陰茎は血液が充填されれば膨らむが、陰嚢はそんなことにはならない。熱を逃すために表面積を増している夏の陰嚢は、勃起した陰茎に対して、なるほど黒幕というか、名参謀というか、実はこれが陰茎を操っているのだな、ということに納得がいくバランスだが、冬のそれは勃起に対してあまりにも頼りなげで、不格好であると思う。
 おとなり韓国では、前になにかの本で読んだが、陰嚢の大きさというのがとても重要視され、名誉を守るために、死後に陰嚢に液剤を注入して陰嚢を膨らませたりするそうだが(本当かどうかは分からない)、なんとなく気持ちはわかる。陰茎が大きいのはもちろん大事だが、陰茎がIQだとすれば、陰嚢はEQというか、数字では計れない本質的な部分みたいな、そういう価値観があると思う。
 そんな冬の陰嚢、陰嚢の冬において、鼻炎薬を服んだ日は、あれ、ここは常夏の国かな、というくらいに、陰嚢が寛いだのだった。もっとも寛ぐというのはこちらの主観であって、繰り返しになるが夏に陰嚢がその状態になるのは熱を逃すためなので、本当はリラックスなんかしてないはずである。でもここではそう表現する。
 どういうことだろう、血流だろうか、薬の成分で血流がよくなって熱が高まるから陰嚢が(肉体が)夏のような状態になるのか、と考えたが、鼻炎薬にそんな作用はない。じゃあなぜだろうと検索をかけた結果、「鼻炎薬 陰嚢 寛ぐ」などで検索してもなにも出てこなかったが、鼻炎薬の作用として、筋弛緩作用というのがあったので、もしかしたらこれによるものかな、と思った。体に力が入らなくなるから、陰嚢もキュッとならず、ダレる。そういうことなのではないか。だとすればやっぱり陰嚢のあの状態というのはリラックスということなのだろうか、などとも思う。
 原因は不確かにせよ、鼻炎薬を服むと陰嚢が寛ぐ、というのは、鼻炎薬を服んでいた数日間は寒くても陰嚢が寛いでいたという、身を張った人体実験の結果として証明されたので、これは日常生活の中でのライフハックとして、知識のひとつに加えようと思う。冬に陰嚢を寛がせたいとき(陰嚢が寛いでいたほうが、そよぎ、揺れ、揉まれ、持ち上げられ、引っ張られ、いろいろしてもらえる可能性が高まる)は、鼻炎薬を服めばいい。ためになる情報だな。これで無人島にひとり漂着しても安心。ポケットに鼻炎薬さえあれば、タプタプの陰嚢をいじって、ずっと愉しんでいられる。よかったよかった。