人生腹上

 腹上死は男のロマン、などと言われる。まあ解る。死ぬのは基本的に気が進まないが、どうしても死ななければならなくなって、でも死に方を選ばせてくれると言うのなら、やっぱり腹上死ということになると思う。
 腹上死のなにがいいって、腹上というくらいだから、相手の体と密着し、愛し合いながら昇天するわけで、その安心感がいい。死にゆく兵士の手を握ってあげる的な地点から、さらにナイチンゲールが踏み込んで、これはもうナイチンゲールじゃなくて、ちんこを慈しんでくれーるだね、みたいな、こんなセンス的にも倫理的にもひどいジョークも含めて許してくれるような、そんな優しい世界だと思う。
 でも腹上死には、それ以上にもっといい要素がある。
 死ぬとき勃起している、勃起しながら死ねる、という点である。
 死の恐怖を前にして、人の体に触れてもたらされるのが安心感ならば、勃起が与えてくれるのは無敵感である。どんなにつらい場面でも、体の中心に立派なフル勃起さえあれば、とりあえずは大丈夫なような気がする。錯覚である。フル勃起しててもダメなときはダメだ。ダメにもいろいろなダメがあるが、その究極が死だ。勃起してても死から逃れられるわけではない。しかし逃れられるわけではないが、その代わり、立ち向かうことができる。もちろん勝負は見えている。相手のパワーは圧倒的だ。でも勃起という聖剣があれば、立ち向かえる、もとい、勃ち向かえるのだ。
 ところが死というのは陰湿なものなので、老いとタッグを組み、われわれから勃起を奪ってから襲い掛かってくる。長生きは尊い。尊いが、それは勃起という武器を喪っていくことを意味する。年を取ればその分、勃起に代わる武器が精神内に生成されてゆくのだろうか。見当もつかない。勃起を奪われ、か弱い老人となり、猛烈な不安感とともに死に包まれるのだとしたら、これほどおそろしいことはない。
 これを回避するためには、せっかく現代は文明が発達したのだから、今わの際には、アダルトビデオを網膜に照射し、あるいは目がもう開かないのなら、脳に直接でもいい。脳に直接、映像を見せ、勃起の感覚を与え、射精の悦楽を浴びせてほしい。すなわち、VR腹上死である。これはいい。これでいい。全部で6時間くらいのそれを眺めながら、もともとの原因で死ぬんだか、度を超えた性興奮と性疲労で死ぬんだか判らないような感じで、涎をダラダラに垂らしながら、死んでゆきたい。曾孫のJKやJDに囲まれながら。