乱交パーティーで逮捕についてのオブジェクション

 乱交パーティーの主催者集団が逮捕される。切ない気持ちになる。
 そもそも乱交パーティーってどういう罪になるの、ということを検索したら、参加者は公然わいせつ、主催者は公然わいせつ幇助ということになるらしい(18歳未満の参加者がいた場合はまた別の罪になる)。どうもピンと来ないな。
 ちなみに今回の事件で逮捕された5人はそれともまた違って、売春防止法違反という名目だった。これは、男性から高額の参加料を徴収し、女性は無料どころか報酬を支払っていたようで、そこらへんが引っ掛かったものらしい。10年間での稼ぎは6億5000万円とのことで、ずいぶんうまいことやったもんだと思う。しかし罪はあくまで売春防止法違反であり、薬物など、タチの悪い罪に問われている様子はないのだから、なかなか健全なのではないかとも思う。お金をめっちゃ稼いではいるけれど、それは性欲という、無限にあふれ出る資源をうまく利用した結果であり、人を騙すとか、蹴落とすとか、そういう金の得方ではなく、「人は人が好き」ということを信じているからこそできる、とてもきれいな心で創造されたビジネスなのではないかと思った。稲村亜美に群がった小学生のときもそうだったが、僕は性欲を動機とした事件に対し、とてつもなく甘い裁定基準を持っている。性欲は、現状よりもだいぶ許されていいと思って日々を生きている。
 今回のように事業としてではない、あくまで趣味の範囲で集ったような場合でも、冒頭で述べたように公然わいせつとして罪に問われるのは、説明文を読めば読むほど、考えれば考えるほど、意味が分からない。日々読んでいる読み物と、あまりにも乖離しているせいかもしれない。たとえ閉鎖された空間であっても、不特定多数の人物が公然と性行為をしたら、それはもう罪になるという。その場にいるのが「乱交パーティーする人集まれ!」で集まった人たちだったとしてもだ。なにかここに、無から有が生まれる、奇蹟のような部分がある気がする。あまりにも「無い」ものを、「有る」と言い張ってしまうと、それまでたしかに有ったはずのものまでもが、もしかしたら無かったのかもしれない、と思えてしまう。他者に危害や損害を与えるから罪だと思っていたのに、一切そのような部分がなくても罪だと言うのなら、もう罪の基準が分からない。逆に罪に違いないと思っていたものが、ワンチャン罪ではないかもしれない。揺らぐではないか。
 実際、どこまで行けば逮捕なのか。2組のカップルが、同じ部屋のそれぞれのベッドで同時にセックスをする。そういうプレイ。これはセーフだという。じゃあそれが3組になったらどうか。4組になったらどうか。20組になったらどうか。あるいは、これはただの屁理屈めくが、その20組が全員、目隠しプレイを行なっていた場合はどうなるのか。同じ空間で性行為をしていても、互いにその姿を見ることはない。これはセーフか、アウトか。誰も答えられない。なぜ答えられないか。そもそもの罪状に根拠がないからだ。どこかにマイナスを発生させることが犯罪だと考えれば、マイナスが発生した瞬間が罪が成立した瞬間ということになるが、乱交パーティーにはどこを見渡してもマイナスがないのだ。発生していないものを捕まえるという、そもそもが無茶なことをしているから、すぐにボロが出る。まっくろくろすけを捕まえたメイのように、両掌でなにかを取り押さえたような気になっていても、開けてみたらそこにはなにもいない。見つけた気になっているだけなのだ。
 実際の乱交パーティーは、たぶん僕が夢想するような、いいものではないだろう。だから僕は参加したいとは思わない。思わないが、それが犯罪だと言われると、口を挟みたくなる。乱交パーティーは、ハーレムは、全校生徒の前で公開セックスは、罪じゃないんだ(最後のはもしかしたら罪かもしれない)。