「金玉肉袋の寛ぎ」を読んで 8年H組 purope★papiro


 鼻炎薬を服むと金玉肉袋が寛ぐ。
 とかく気が滅入る体調不良の中で、その発見にどれほど魂が救われたか知れない。金玉肉袋が寛ぐと、勃起とはまた違う種類の、生きる希望が滾るのだった。
 体調が回復して、鼻炎薬の効果が切れれば、金玉肉袋はいつもの状態に戻った。体そのものは元気になったのだから、良しとするべきなのだろうが、金玉肉袋に関してだけは、幽かな喪失感を抱くこととなった。
 鼻炎薬を服むことで金玉肉袋が寛ぐのは、要するに血流であろう。血流が良くなり、体温が上がることで、免疫力が上がり、鼻炎は鎮静化し、そして金玉肉袋は寛ぐ。寛ぐというのは客観的な感想で(僕が僕の金玉肉袋に対して完全な客観性を持つことは不可能だが)、精巣擁する金玉肉袋は、突然の体温の上昇に際して、熱を逃すために表面積を増やしているのだろう。そのためピンチと言えばピンチだが、ピンチは同時にチャンスでもあり、嵐を前にして的確な指示で帆を張ってみせる航海士のように、その姿はどこか誇らしげでもある。
 であるならば、金玉肉袋を肥大化させるためにいつも鼻炎薬を服むわけにはいかないが、生活の中で血流を良くすることを心がければ、金玉肉袋というものは、これまでの暮しの頃よりも、寛いだ表情を見せてくれる場面が増えるのではないかと考えた。
 そこでインターネットで血流を良くする方法を検索したところ、ハイカカオチョコレートがいいという情報を得て、それ以来1日20gほど、カカオ分85%だというチョコレートを食べる習慣を始めた。すべては金玉肉袋を寛がせるためである。
 そしてこのたび、それを開始して10日ほどが経過したので、その結果について報告をしたい。
 ハイカカオチョコレートを摂取することで、本当に金玉肉袋は寛ぐのか否か。
 答えはYESである。
 ただし鼻炎薬ほどの強烈な現象ではない。しかしそれはそうだと思う。あれはやはり医薬品の、イレギュラーな刺激に対する反応であろう。常時あのような態勢でいたら、たぶん健康に良くない。
 それに対してハイカカオチョコレートを食べるようになってからの金玉肉袋は、健康的である。だらんと弛緩するのではなく、しかしこれまでのように萎んで固い感じとも明らかに違う。なんと言うか、ぷりぷりしている。触り、揉むと分かる。ぷりぷりしている。
 ぷりぷり! 怒っているのではない。肉体の描写にこの表現を使われ、悪い気のする人間はそうそういないと思う。おじさんが、若い女の子とかに使うと、もしかすると嫌がられるかもしれない。それこそぷりぷり怒るかもしれない。でもそんなおじさんの金玉肉袋を触ったら、若い女の子もこう言わざるを得ない。やけにぷりぷりしてる!
 滝口悠生の「死んでいない者」という小説に、幼児の男の子の性器を、金魚の心臓のよう、と喩える場面があり、その比喩はやけに心に刺さり、健やかな少年の性器というものは、なるほど金魚の心臓のような、自然の摂理というか、生命そのものというか、好もしさが漲ったものだな、ということを思ったが、ハイカカオチョコレートを摂取することでぷりぷりし出した僕の金玉肉袋は、かつては僕も実際にそうであったはずの、往時のその姿を彷彿とさせているのではないかと思った。
 血流を良くするのと同義なのかもしれないが、ハイカカオチョコレートの効能のひとつに、ポリフェノールによるアンチエイジング効果、というものがある。つまり僕はハイカカオチョコレートを食べたことにより、金玉肉袋を若返らせることに成功したのかもしれない。そして今のところ金玉肉袋にしかその効果は見出せない。これは金玉肉袋が、人体におけるカナリヤ的な、なにか異変があったときに真っ先に反応するという特性を持っているからなのか、あるいは、筋トレをするときはそのトレーニングで効果を得たい部位を意識しながらやると効果的というのと一緒で、僕が金玉肉袋のことだけを一心に考えていつもチョコレートを食べるものだから、素直にその効果がそこに注がれているのか、定かではない。どちらにせよ、求めていた結果は得られたので万々歳だ。
 願えば叶う。やればできる。不可能なんてない。僕は金玉肉袋を通して、そのことを学んだ。もうこれまでの僕とは違う。だって僕の金玉肉袋は、ぷりぷりしているのだから。