精事の話

 これまでずっと黙ってきたけど、僕は「マスターベーション」も「オナニー」も好きではないのだ。なんというか、ちょっと違和感があるというか、抵抗感がある。その場面になるたびに、果してこれで本当によかったのだろうか、もっとよくできたのではないか、という葛藤があり、すっきりできない。これまで長年そんな状態が続いていた。
 行為ではなく、言葉の話である。
 「マスターベーション」は、ラテン語で「手で汚す」、「オナニー」は旧約聖書の登場人物、オナンから、それぞれ来ているという。しかし語源なんてどうでもいいのだ。大事なのは、いま、現代日本においての、言葉のイメージである。
 僕は「マスターベーション」も「オナニー」も、女の子が使う言葉だと思う。
 いまどき言葉に関して、女が使う言葉、男が使うべきではない言葉、などという観点でものを言い出したので、度肝を抜かれているかもしれない。なんと前時代的なことを言うのだこいつは、と思っているかもしれない。思う人間は勝手に思えばいいと思います。ジェンダーレスで、ユニセックスで、ありとあらゆるものを男女で共有すればいい。最近ネットで下着を物色していたら、男女共用のショーツなどというものが売られていて、衝撃を受けた。ちんこはよ、と思った。男女不差別の志は(勝手にすれば)いいが、厳然たる事実として、男のその部分にはちんこがあるだろう。(極寒の時期以外は)まあまあの容積がある陰嚢があり、そして(頻々に)大きくなる陰茎があるではないか。それがいったいどうやって、女と共通のショーツになど収まるというのだ。収めようと思えば収まるかもしれないが、収めるなよ、主張していけよ、前に出ていけよ、と柄にもなく松岡修造みたいな熱いことを思ったのだった。
 セックスで果てる際、女の子は「イク!」と言うが、男がそれを言うのは気持ち悪い、ということを前に書いた。どのブログで書いたのかすっかり忘れ、検索しても出てこないのだが、じゃあ男はそのときなんと言葉を発するのが正解なのか、という問いに対して、僕はちょうど読んでいたエロ小説に書いてあった、「食らえー!」を推奨したのだけど、「マスターベーション」「オナニー」問題も、これと同じように解決策を探っていこうと思う。
 それらは女の子が使うべき言葉、という理由とはまったく別の、言葉にまとわりつく淫靡さ、下品さ、罪悪感などの理由から、近ごろ新たに提唱されている言葉として、「セルフプレジャー」というのがある。これに関してはもう、ノーコメントというか、いいとか悪いとかの範疇から逸脱していて、男が「ちんこ」あるいは「ちんぽ」、女の子が「おちんちん」であるのに対し、「ペニス」と言っているようなもので、それは対象を指し示す言葉では確かにあるけれど、しかし言った人、言われた人に、なんの感情ももたらさない言葉であり、そういう言葉が必要な場面ももちろんあるだろうが、しかし日常生活においてそんな言葉ばかりを使っていたら、暮しがつまらなくてノイローゼになってしまう。それよりは「マスターベーション」「オナニー」のほうがいい。ただしそれは繰り返しになるが、男がちんこのことを「おちんちん」と呼ぶ程度には気色悪さがある。なぜなら「マスターベーション」と「オナニー」は、「おちんちん」と同じく、少しかわいいからだ。少しかわいいから、女の子用の言葉なのだ。時代遅れと言わば言え。
 ちなみに(ほぼ)男専用の用語しては、既に「センズリ」であるとか、「マスをかく」などがある。しかし僕はこれらの言葉を使ったことがない。なんかあまりにも下品で、目を背けたくなるくらい使いたくない。言葉の女子っぽさを鋭敏に感じ取って忌避するわりに、男臭さが一定量を超えるとそれはそれで激しい拒絶反応が出る。可動範囲が狭いのだ。
 その僕がたゆたう、極狭の可動範囲に、いま現在ふさわしい言葉が存在しないので、新しく考える必要がある。新しく考えてやることで、僕の世界は彩りを増す。
 それでまず考えたのは、「射精」だ。射精という言葉は本当にいいな、ということを最近しみじみと思う。射精なんて「ペニス」を凌駕して「交尾」と同じくらい、どこまでもシステマチックな用語ではないか、と思われるかもしれないが、メタファーとしてのピストルを持つ男性の、本質的なやりたいこと、かなえたいことを、簡潔に表したすばらしい表現だと思う。しゃせい、という音もいい。その瞬間、俺のしたいことはなんだったろうと考えたとき、それは「マスターベーション」でも「オナニー」でもなく、もちろん「センズリ」でも「マスをかく」でもなく、うん、射精だな、と深く感じ入る。精で、射たいんだな、と。
 じゃあ「射精」で決まりなのか。決まりでもいい、とも思った。「射精」では、ひとりでしているのか、相手がいる状態でしているのか、単語だけでは区別ができないが、英語圏において、絵画も写真もpictureであるような感じで、そこは文脈で察しろよ、それに、ひとりだろうがふたりだろうが乱交だろうが、本質は「射精」なんだよ、と。
 とはいえ「マスターベーション」と「オナニー」を否定し、新しい表現を考えるとぶち上げた結果が「射精」では、正直言って拍子抜けだろう。ここはやはり、ちゃんと新しい表現を提案するべきだ。
 ということで考えたのが、「個精」です。こせい。ひとりでの射精だから個精。パートナーがいる場合、セックスはもちろん大事だが、しかしひとりでしたくなるときだってあるだろう。そういうときはためらいなくしたらいい。個精を大事に。ただし個精を偏重するあまり、ふたりでするとき、ひとりよがりな、すなわち個精的なセックスになってはいけないですね。うまいこと言うもんですね。
 併せて、ひとりでの行為が「個精」ならば、ふたり、あるいは何人でもいいが、とにかく他者が介在する行為での射精、こちらのことは、「多様精」でどうだろう。「さまざま」を意味する「多用精」、他者が用いる「他用精」も考えたが、やはり今のご時世、「個性」に対応するのは「多様性」であろうと思い、この字を選んだ。
 ジェンダーレス時代を真っ向から否定するような導入から、最終的には新しきパーソナリティとディバーシティの形の提案へと帰着するという、とてもよくできた話になった。ひとりひとりの個精を大事にし、多様精あふれる社会を実現したい。膣内で射精されたものが、あふれ出るわけではないが、一部排出される現象を、フローバックといいます。日本フローバック党でも立ち上げて、出馬しようかな。