というわけで、こんどは動機の方面から、このニュースを深掘りしていこうと思う。
結果的にまろび出てしまっただけれど、普通にしていれば男性器がまろび出る可能性は低い短パンを穿いていたのだから、そこには余地が生まれる。なんの余地か。それはもちろん、情状酌量の余地である。生地を切り抜いていたわけではない。さらけ出そうという強い意思があったわけではない。もちろん不安はあった。ボタンが取れていることは認識していたからだ(「1週間前から穴があいてしまいました」という証言)。でもボタンは取れたときにどこかに行ってしまったし、そもそも男にボタンを縫い付ける技術はなかった。それでも普通に穿いて日常を過すぶんには問題ないので、使用を続けていた。ひとつ問題があるとすれば、それがスポーツ用の短パンであったということだ。なにしろスポーツ用の短パンであるので、それを穿いていると、どうしたってランニングをせずにはおれなくなってくる。ボタンが取れて大きな穴があいている形になっているので危ないぞ、と思う気持ちはもちろんあった。それでも趣味であるランニングの衝動を抑えることはできなかった。そうして男は激しく飛び跳ねながら走りはじめ、するとむべなるかな、律動した男性器ははずみでたちまち、正面の開口部から飛び出す結果となった。飛び出したな、ということは男性器に感じる10月の空気でもちろんすぐに判った。しかし判ったところで、いったい男になにができただろう。だって短パンのボタンは取れてしまっているのだ。いちど男性器を中に仕舞ったところで、ふたたび走りはじめればまたすぐに飛び出してしまうことだろう。ならば仕舞っても仕舞わなくても同じこと。そう考えて男はそのまま走り続けた(「下半身が出てしまったが見せようとしたわけではありません」という証言)。
以上である。プロペファイリングは、まるで本人であるかのように、男の思考に寄り添う。動機はざっとこんなものだろう。もちろん僕だって聖人君子ではないので、男にほんの少しも、スリルを味わおうとする意思がなかったとは思っていない。でもそれは証明できないじゃないか。だって故意に穴をあけていたわけじゃないのだから。スポーツ用の短パンの前あき部分のボタンが取れてしまっただけなのだから。これで罪になるのだとしたら、水泳の授業の日、水着を下に着て登校したはいいが、授業後に穿くためのショーツを持ってくるのを忘れた女生徒が、仕方なくノーパンプリーツスカートで過すはめになり、しかし運の悪いことにその日は午後から風が出て、女生徒はスカートを必死に手で押さえながら下校していたが、意中の先輩に声を掛けられた際、思わず手を上げてしまい、ちょうどその瞬間に突風が吹いて、スカートが盛大にめくり上がり、女生徒のきわめてプリミティブな部分が公衆の面前にさらけ出されてしまった、という案件があったとして、ショックのあまり泣きじゃくるばかりの女生徒を、しかしあなたがたは現行犯逮捕なさるんですか、という話になってくる。そうはしないだろう。みんな女生徒に気を遣って見て見ぬふりするだろうし、なにより意中の先輩がすぐに、着ていたカーディガンを女生徒の腰に巻いてやり、ふたりの仲はそこから急速に深まることだろう。なんで? って話じゃないですか。やってること、起ったことは同じ。女生徒だって、ノーパンでびくびく過しながら、心のどこかで昂る部分があったことは否めないだろう。じゃあ一緒じゃないか。女生徒も、変態校長も、やっていることは一緒。ならばどちらかだけが罪に問われるのはおかしい。「すべて国民は法の下に平等である」って『虎に翼』で言ってたもん!
この事件についての考察、ここまで装置、動機と来て、まだ終わらない。次回は、「露出とはなにか」という、社会的な背景について考えていこうと思う。つづく。