このニュースを受けての世の中の大抵の反応は、「変態校長やっちまったな(笑)」みたいな感じだと思う。病気療養中だったとのことだが、やはり現役の小学校校長というところが世間の耳目を集め、こうしてニュースになったのだろう。
嫌な感じだ、と思う。
立場のある人間なのに。聖職者なのに。子どもの手本となるべきなのに。
だからなんだよ、という話ではないか。ひとりにひとつ性器はあって、それを出すか出さないかに、その人の職業なんて関係ないはずだ。身に着けるもので格の違いを見せつけるのは別にいい。それは社会を構成する生きものとしては正しい行為だ。でもだからこそ、裸になること、そして裸そのものに関しては、それがどんな社会的地位の人間であるかを問うべきではないと思う。それは本当にくだらないことだ。どうしてあなたがたはそんなふうにしかものを考えられないのですか、と問いただしたくなる。
なので、小学校校長であるということは一切考慮せず、単なる「男」のやったこととして、この出来事について考えたいと思う。
まず気になるのは、「穴のあいた短パン」というワードだ。ニュースには実物の映像がなかったため、丈の長さも含め、イメージがしづらい。その表現だとダメージジーンズの可能性だってあるけれど、そこから下半身が露出していたというのだから、穴はほかでもなくフロント部分にあったわけだ。
でも、そもそも「穴」ってなんだろう。
ここから話は僕の専門分野になる。男性器をのびのびさせやすい衣類に関しては、日夜せっせと思索を重ねている。男性器が出しやすいことを追求していくと、それは介護用ウェアへとたどり着きがち、というのがこの界隈の鉄板あるあるジョークだ。
そんな見地からいわせてもらえば、警察やマスコミが大雑把に「穴」といっているそれは、「あな」ならぬ「あき」ではないのか。「あき」とは、要するにスリット的なことだが、隣り合う布の縫い合わせない部分、あえてあけている箇所のことだ。短パンということであれば、ファスナーで開閉できるようになっている、あれも当然「あき」である。
しかし短パンにもいろんな種類があって、今回の場合、ランニング中に穿いていたということならば運動用であると考えられ、だとすればファスナータイプの可能性は低くなってくる。そもそも「あき」はないもののほうが多いだろう。
じゃあやっぱり「あき」じゃなくて「あな」なんじゃないか、男は自分でそこに男性器が出るほどの穴をハサミなどであけたのではないか、という疑いが出てくるが、「ランニング中に男性器がまろび出てしまう」というスリルを求める心理を想像すると、やはりそうとは思えない。だってそんな故意的な、そこにあった布が切り取られた、ぽっかりとした穴があいていたら、言い逃れができないではないか。それではスリルもなにもあったもんじゃない。また容疑者の供述として、「下半身が出てしまったが見せようとしたわけではありません」と、「1週間前から穴があいてしまいました」というふたつの発言がある。この言い回しから見ても、男はただ露出するのではなく、カムフラージュする意図がなきにしもあらずだった様子が窺える。
そこで僕が考えたのが、トランクスやステテコによく見られる、「あき」の部分がボタン留めになっているタイプだ。あれは、10センチほどの長さの「あき」の中央にボタンとボタンホールが仕立てられていて(ちなみに自分で作ろうとするととても面倒くさい)、ボタンを留めている限りは男性器がまろび出ることはないが、外れている場合、なにかのはずみで出てしまうことは十分あり得る。男が穿いていたのはその機構の短パンで、1週間前から、それが故意かどうかは判らないが、ボタンが取れてしまった。だから「あき」を閉じることができなくなった。ボタンがなくなってしまったボタン留めの「あき」は、それはもはや「あき」ではない。「あな」である。つまりそういうことではないのか。
以上が、パンニパル・レクター博士による、プロファイリングならぬプロペファイリング。この事件、今回は短パンについて主に考えたが、次は「下半身を露出するという行為」について考えていこうと思う。つづくのだ。