顔パンツを巡る冒険 4

 水着は下着とまったく同じ面積しか覆わないのに、「水着だから」という理由でやり過ごされている、という話のテーマがある。もうそろそろ20年くらい、僕はこの手の話をしている。これに関して、「このことについてあまり言及すると、女の子にかかっている催眠術が解けてしまうから控えねばならない」という自戒があった。自戒があったわりに、さんざん言及してきたけれど。しかし最近になって、女の子だって水着の布の面積が頭おかしいことは分かっているけど、でも分かった上で、あえてあの恰好をしているのだ、女の子にもそういう欲求や願望があるのだ、と思うようになった。
 顔パンツについて考えようとしているとき、パンツ、すなわち下着ではなく、水着にまで話を広げると、論点がぼやけ、収拾がつかなくなるのではないかとも思ったが、やはりここは水着も含めて複合的に、プライベートゾーンの取り扱いについて考えていくべきだろう。そうなのだ、これは要するに、プライベートゾーンの話なのだ。これまで顔はプライベートゾーンではないとされてきたのが、新型コロナウイルスの流行によってマスクが一般化し、覆われるのが常態化したため、結果としてプライベートゾーンの雰囲気を帯び始めた。これによって下の口と上の口の近似性が再認識されることとなり、われわれはマスクを顔パンツとして捉えるに至った。
 そもそも顔パンツという言葉がどこで誕生し、生み出した本人がどういう意味合いでそう言ったのかは知らない。ともすれば「マスクは顔のパンツだから、社会生活では必ず着けましょうね」みたいな健全なメッセージだったのかもしれない。しかしパンツと呼んだ瞬間に、どうしたって脱ぐことについて思いを馳せずにはおれなくなる。だってパンツは、脱ぐものだから。脱いでもらえぬものかと、切に願うものだから。
 そしてここが顔パンツについて考えるときに最も重要な部分だと思うのだが、パンツは、ショーツは、水着は、脱いでもらえぬものかと切に願っても、大抵の場面では脱いでもらない。なぜならその下にあるのは、ガチガチのプライベートゾーンだからだ。プライベートゾーン中のプライベートゾーンとして、確固たる位置に君臨している。そのためその下を見せてくれるのは、特殊な職業の人か、あるいは自分と特殊な関係にある人だけだ。これは人口比で考えると、とてつもなく少ない。もっとも人口比で考えると、その下を見たいなんて思いをぜんぜん抱かない種類の人が、逆にとてつもなく多いので、「その下を見たいと思う人比」で考えたほうがいい。そして、それでもやはり、実際にその下を見せてくれる人は、とてつもなく少ないのだ(俺に透視能力があればなあ……)。それに対して顔パンツである。顔パンツは、その隠す部分がまだ、プライベートゾーン部に体験入部でやってきたくらいのレベルなので、とても気軽に脱着される。プライベートゾーンに片足を突っ込んでいるのに、もう片足の足ぐりはすでにショーツを脱いでいるのだといってもいい。もはやショーツは片方の腿にかろうじて引っ掛かっているだけで、ほとんど用を成していない。ここに我々の勝機がある。我々とは誰なのか。勝機とはなんの戦いの勝ち負けなのか。
  顔パンツを巡る冒険はまだまだつづく。