35歳まで


日35歳の誕生日を迎えて、その前後2日間くらいの、「俺の誕生日祝い期間中」にはぜんぜん思い出さなかったのだけど、そう言えば35歳と言ったらあれじゃないか。
 ちんこは35歳まで大きくなり続ける。
 いつどこで誰から聞いたのか、もうほとんど忘れてしまったが、たぶん一生にいちどしか誰かがそう言っているのを聞いたことがないその情報は、僕という人間の、心の床の間の掛け軸に達筆で記され、ずっと飾られ続けていたのだった。35歳とは、実は僕にとってそんなにも大事な年齢だったのだ。
 もちろん信憑性なんかない。根拠もない。出典も不明だ。ここまで書いて、念のためネットで検索をしてみた。「男性器 成長 何歳まで」で検索をかけて、出てきたそれらしいタイトルのページを開いたら、結局は「ペニスはいつからでも大きくできる! このサプリメントさえあれば」みたいな広告のブログで、これはしばらく僕のパソコンのネットの広告欄が荒ぶりそうだな、と思った。
 そんな広告ブログの、広告に行きつくまでの部分の情報によれば(これまたずいぶん信憑性がない)、「20歳くらいまで」というのが一般的な捉え方らしい(「でもこのサプリメントを飲めば!」と続くわけだけど)。個人差はあるが、二次性徴とか、身長の伸びとか、ペニスももちろんそういうのと連動するので、それらが止まればペニスの成長も止まるのは自明の理、ということらしい。そう言われるとたしかにそうだ。体の発育が止まっているのに、そのあともちんこだけ成長していくはずがない。どんな理屈だ、という話だ(サプリメントを飲むとかは別として)。
 だけど僕はたしかに聞いたんだ。誰かの口から。「ちんこは35歳まで」って。それこそ二次性徴の乍中くらい、高校生くらいのときに。そして高校時代に聞いたということは、この言葉を僕に伝えた相手は、偏差値のとても低い男子校の同級生である可能性が高くなり、その可能性が高くなると同時に、反比例で話の信憑性はどんどん低下してゆくのだった。
 でも考えてみたらおかしな話ではないか。二次性徴のすっかり終わった20代後半くらいでこの話をしたというのなら、35歳までというその年齢に希望が湧いて、この話は「前向きな気持ちになれる話」というカテゴリに入れることができるが、16歳くらいでこの話をされた場合、果たしてどのような気持ちになるのが正しかったのか。16歳にとって35歳はあまりに遠く、そこまでちんこが大きくなり続けると言われても、想像が追いつかなかったろうと思う。その結果、僕のように、これまで特に感情を刺激されることもなく、ただ来たるべきいつかの日のために、書にして、表装をして、心の床の間に掲げ続ける以外にやりようがなかった。こうして考えると、人生の半分以上の年月、僕はこの偏差値の低い、信憑性のない話を、とても大事に守り続けてきたのだな、と感慨が湧く。
 とにもかくにも、かくして僕はとうとう、くだんの35歳になったのである。僕の世界では、このときまで、ちんこは日々、二次性徴以降も大きくなり続けていたということになる。
 実際どうか。
 35歳になったので、いよいよ満を持して、その掛け軸の内容の真偽を質すことができる。
 どうなのか。
 どうだと言うのか。
 そんなの分かるはずないのである。
 だって16歳のときのちんこ、20歳のときのちんこ、25歳のときのちんこ、25歳のときのちんこを、記録もしていなければ記憶もしていない。較べようがないのである。タイムマシンに乗って、それぞれの年代の僕を一堂に会して勃起をさせてみせたら一目瞭然なのだが、でもそんなイレギュラーな状況だと、「純然たる平常な勃起」から逸脱してしまって、やっぱり問題が出てくる。「男性のペニスの平均サイズ」は算出できないというのと一緒で、ちんこの大きさというのは、いつだってスルスルと我々の手をすり抜けていき、実体を掴ませない。だからおもしろい、とも言える。記録を取っておけばよかった、1年に1回、ちん拓でもしていればよかった、とも思うが、そんな風に過去の自分たちのちんこの姿を並べてしまうのなんて、野暮かもしれない。16歳のときには16歳のちんこが、25歳のときには25歳のちんこが、そして35歳のときには35歳のちんこが、いつだっていちばん大きく、愛しく、誇らしい。それでいいんじゃないかと思う。
 35歳までちんこが大きくなり続けるのかどうかは藪の中だが、ちんこに対しての器は、なるほど今がいちばん大きいんじゃないかと思う。大器晩成。高校時代からの長い長い前フリを経て、これはこうまとまる話だったのか。壮大だな。