ちんこ色想い


局のところ、ちんこなんだよな、と思う。
 先日読んだ願望小説では、少女たちがちんこに群がって思い思いに舐めしゃぶり、それだけで気持ちよくなった挙句、最終的には全員が放尿していた。
 読んでいて、まさかちんこにそこまでの力はないだろう、と笑い飛ばす気持ちと、いやしかしちんこならあるいは、と思う気持ちが心の中でせめぎ合った。結論は出ていない。30代半ばの既婚者がなにを言っているのかと思われるかもしれないが、快楽もまた脳の伝達なのだとすれば、ちんこのそのもののポテンシャルと言うより、女の子がちんこのことを極限まで愛することで、その状態は発生しうるのではないかと思うのである。そしてそこまで愛される素質があるという点において、やはりちんこは尊いのだと思う。
 ちんこに関して、精子が熱に弱いため男性器はあのように体外に飛び出ている、という説明がなされる。冷静に考えてみたら、本当だろうか、と思う。精子が熱に弱い設定、本当に要る? という話だ。精子はその役割として、精巣から飛び出たあとは子宮の中に突入し、過酷なレースを行なわなければならないのだから、そんじょそこらの熱ではびくともしない強い精子を作るほうに情熱を傾けるべきではなかったのか。
 ところがそんな進化を我々は選ばなかった。精子が熱に弱いからという大義名分の下、男性器をむんずと体外に曝け出した。そこに成功があったし、そして性交があった。藤子不二雄が、「しずかちゃんはお風呂好き」という、本当に何の捻りもない理由付けで漫画のヒロインの裸シーンを多産したのに較べて、これは作戦として一枚も二枚も上手だと思う。「だってほら、俺、熱に弱えから……」と男が弱点をアピールすることで、女の子は許してあげたくなってしまう。弱点とちんこをさらけ出す男子に、女子はとかく弱い。母性本能が刺激されて、大きな愛で包んでやりたくなる。そしてお誂え向きに、女の子はちんこを包むのにちょうどいいものを持っているのだ。ここに神の巧妙さがある。有性生殖の仕組みを作った時点で神はエロい。
 そんな神に愛されたちんこに関して、先日とてもショッキングな記事を読んだ。デザイナーズちんこの技術がそろそろできあがりそう、という記事である。なんかその、そういうサイトに行くとよく広告で出てくる、この薬を飲めばちんこがぐんぐん伸びるとか、そういうんじゃなくて、もうサイボーグ的なアタッチメント的な感じで、既存のちんこを、人工的にデザインされた「すごくいいちんこ」に着け換える、というのである。そういうことが近い将来、可能になりそうだ、というのである。
 それはダメだ、と思った。ピアスだっていい。タトゥーだっていい。僕は自然に反することを即拒否しているわけではない。さらに言えば豊胸手術だって別にやったらいい。でもちんこはいけない。それはあまりにも神を冒涜している。もしも本当に実用化したら、バベルの塔とか、ノアの箱舟とか、たぶんそれぐらいぶりに、神が本気で怒り出すと思う。人類、調子に乗り過ぎだ! と人類はこっぴどく叱られると思う。僕が神ならばやる。そこだけは許せない。頭の左右を刈り上げる髪型とか、重低音を響かせるカーオーディオとか、他にも許したくないことはいくらでもあるが、理想のちんこアタッチメントに較べたらかわいいものだ。これはそれくらい重い罪なのだ。
 だってちんこが自由自在になったら、それは世界が自由自在ということになり、あらゆることのパワーバランスが崩れてしまう。「いいちんこアタッチメント」改造手術が高額なのだとしたら、一部の人間にしかできないことになり、そして一部の人間ばかりがいいちんこになったら、一部の人間ばかりが子孫を残せるということになる。そんなのおかしい。ちんこってもっと、自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。ちんこには無限の可能性がなくちゃいけない。だからいいちんこ手術にだけは手を出してはいけない。いけないんだ……。
 いいちんこ手術の技術を生み出した博士は、そう言って息を引き取った。