襞めいたゾーン


の授業参観に出たところ、授業内容が衛生に関するもので、インフルエンザ大流行の折ということもあり、手洗いの正しいやり方などをやっていた。その授業の導入部で、児童たちに身体の部位を挙げさせて、どこに汚れが溜まりやすいか考えるというくだりがあり、「手!」とか「足!」とか「頭!」とか、あらかた言わせた末に、最後は先生が「あとここも大事な部分です」と言って、黒板に貼った全身イラストの、その脚の付け根のあたりに、『プライベートゾーン』と記されたマグネットを貼ったのだった。そこから授業は怒涛の性教育へ……、という風にはもちろんならず、「だから清潔に保ちましょうね」くらいのさらっとした扱いだったのだけど、あるひとりの保護者の心中では、「プライベートゾーン……! プライベートゾーンという言い回し……!」という興奮が渦巻いていた。
 もちろんその言葉を初めて聞いたわけではない。たぶんCMとかで、「デリケートゾーンのかゆみに!」みたいなのを、前々から聞きつけていた。でもそういうCMで使われる用語という認識しかなかったので、デリケートゾーンとは、女性の、性器の、陰唇の、それも内側という、それくらいに秘められたゾーンだと認識していた。男子には把握しづらい、入り組んだ構造の、あのあたりの襞めいたゾーンのことだと。それだのに先生は、男女の性器の構造の違い、成り成りて成り余れる処と、成り成りて成り合はざる処の違いについては一切言及せず、まるでそんな性差などないかのごとくに、脚の付け根のエリアを「プライベートゾーン」と言い切ったのだった。乱暴じゃないのか、という気もしたが、諸般の事情により、手を挙げて「先生そのプライベートゾーンという表現は乱暴なんじゃないですか。もっと具体的に表現するべきなんじゃないですか」と抗議するのはよした。
 それで帰宅してからウェブで「プライベートゾーン」を検索したところ、「水着で隠すところ」という説明が出てきて、その明解な定義に、ストンと腑に落ちる感じがあった。もっとも「水着で隠すところ」と「性器」はやっぱり違うだろうという気もする。水着だっていろいろあるわけで、ほぼ全身を覆うものもあれば、乳首や陰唇を隠すばかりの紐のようなものもあるわけで、だとすれば「性器」=「プライベートゾーン」=「水着で隠すところ」という解釈を採用する人たちの考える水着というのは、えげつないほどのエロ水着ということになりはしまいか、とも思った。あれって逆に萎えるんだよね。
 そもそも「プライベートゾーン」という表現に対して、こうも僕が忸怩たる思いを抱くのは、それがまさに僕の専攻分野だからで、これまで僕は、男女性器のどちらに関しても、さまざまな言い回しを見知り、記録し、そして自らも考案してきたのである。特に女性に対して用いる「バンズ」はその白眉で、現にこのブログのタイトルにさえなっている。おそらく娘の担任の、二十代の女性教諭は、かつてやなせたかしが女性器のことを「ワレメちゃん」と呼ぶよう提唱したことも知らないだろうと思う。そういう、先人たちの苦悩を鑑みもせず、ふわもやっとした感じで「プライベートゾーン」で話を済ませてしまおうとする、その志がいただけない。悔しい。墓前に報告できない。
 それにここはプライベートなゾーンなんかじゃないじゃないか。むしろいちばんパブリックだと僕は思う。本人の裁量や思念などは入り込めない、世界の枠組みに支配されているゾーン。ここがあるから我々は存在し、意識が発生し、世界を成立させている。卵子はどこからやってきたか。生まれたときには卵巣の中にあったのである。だとすれば母の生まれた時点で私の卵子はこの世にあり、その母の卵子は祖母の生まれた時点に既にあった。そう考えれば生命とは宇宙そのものだ。じゃあ先生、もういっそ脚の付け根のその部分のことは、コスモゾーンでいかがでしょうか。